Invent or Die - 未来の設計者たちへ:第三回 中島聡 x 松本徹三 書き起こし その6

2018年11月20日(火)に開催された「Invent or Die - 未来の設計者たちへ:第三回 中島聡 x 松本徹三」の書き起こしです。

ソフトウェアエンジニアである中島聡と、半世紀以上にわたり、世界のITビジネスの最先端で巨大企業の経営に携わってきた松本徹三氏が、「AIの真髄」に対する正しい理解にとどまらず、シンギュラリティに達した「究極のAI」に対し、私たち人間に突きつけられる向き合い方の選択についてまで、グローバルな観点から議論します。

© naonori kohira

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中島:経済っていうのは働く人たちの話?

松本:はい、今は起業する人も結構いますが、たいていの人はどこかの会社に就職して、毎日仕事に追われて、俺はこんなに働いてるのに、何でこれっぽっちの給料しかもらえないんだよ。何億円も稼いでいる奴もいるのにさーとか、何だかみんなあんまり幸せではないみたいですよね。

中島:でもみんなAIになると人間は働かなくなっちゃう可能性がありませんか?

松本:人間は本来は働く必要なんかないのではありませんか? モノ作りとか、サービスとか、AIがみんなやってくれる世の中になれば、人間は面白いことだけしていればいいのです。こういうことを言うと、そんな人生はつまらないんじゃないかって言う人が多いのですが、それでは質問です。学生さんは毎日つまらないですか? 学生さんって今仕事してないじゃないですか。勉強もあんまりしているようには思えません。では、学生さんたちの毎日は暗いですか? 退屈で死にそうですか? そうは思えません。みなさん結構色々と楽しんでやっているようです。いろいろなサークルがあるし、スポーツもする。

そうそう、スポーツです。現在は、老弱男女を問わず、多くの人たちがスポーツをしたり、観たりして、膨大な時間を使っています。これが昔の戦争の代替になっていると私は考えています。これはすごいことだと思います。

考えてみてください。昔は何かあるとすぐ戦争でした。人類の歴史は戦争の歴史でした。戦争に強い人が英雄でした。次々に近代兵器が開発されて、戦争の本質が変わり、戦争はもはや英雄的なものではなく残虐で悲惨なものになってきているのに、それでも人間は方々で戦争をしています。要するに、理性ではなく、力で白黒をつけるのが好きなのです。それは人間が生まれながらに持っている「闘争本能」や「バクチ好き」の性格、「誇り」や「恥」を重要視する性格などに起因していると思います。しかし、近年は、そういった「戦争を引き起こしてきた人間の本能や性格」を、スポーツが吸収してくれているかのようです。今、全人類がスポーツに使っている時間とエネルギーの総和は100年前と比べたら何百万倍くらいになっているのではありませんか?

AIは働き、人間は遊ぶ、そして、闘争本能は「スポーツという遊び」で吸収して、間違っても戦争はしない。これが私の描く理想の将来像です。

中島:人間の欲の話でいうと、例えば、権力欲、自己顕示欲とかあるわけですけど、現時点で大きな力を持っている人たち、政治家だったり、官僚だったり、会社のCEOといった人たちは、当然だけど、自分たちが持ってるポジションをAIに回したくないですよね。どうやってそこに持っていくのですか?

松本:それは作戦・戦術の問題ですね。うまく誘導して、こういう人たちの力をだんだんと削いで行けば良いと思います。でも、その前に、今は何故、政治家とか、親会社の社長とかが、「偉い人」だと思われて、幅を利かしているのでしょうか? 実は、こういう人たちは格別に偉い人ではなさそうだし、こういう人達には別に幅を利かしてもらいたくはないです。一口に社長といっても、本当に自分でクリエイトする社長や、難しい決断をする社長は尊敬に値しますが、ただ下から上がってきただけで、別にいてもいなくてもいいような社長も結構いますよ。自己顕示欲なんかは、スポーツだとか碁だとか将棋だとか、そういう世界で競い合って欲しい。我々の生活に直接影響を与える政治や経済の世界には持ち込んでほしくないですね。

ところで、人間の「誇り」とAIとの関係については、言っておきたいことが一つあります。AIと人間はもともと別次元の存在なのですから、人間とAIが競い合うことは無意味です。将棋なんかは、ずっと前からAIにはボロ負けでしたが、藤井君はすごいとみんな興奮しているじゃないですか。レスリングなんてロボットに勝てるわけはなくても、人間の中で一番強ければ英雄です。そういう風に、人間は自分の好きなことをやって、その中で、闘争心や自己顕示欲を満足させ、ギャンブル性も楽しんでいればよいのです。政治やビジネスができなくても、決して退屈はしませんよ。

中島:どこかの段階で、日本だったら国会で「選挙は止めよう、政治はAIに任せよう」って国会議員が合意して憲法を変えるなりしないとそこには移らない。

松本:はい、もちろんそうです。それには時間がかかります。色々な手順も踏まなければなりません。でも、僕は今、AIがシンギュラリティに到達するのには、早くて40~50年、遅くて100年だと思っていますから、まだ十分に時間はあります。

ちなみに、僕が何故シンギュラリティーの実現までにはそれだけの時間がかかると見ているかといえば、それは二つの大きな課題があるからです。一つは推論のスピードとそれに要する電力の消費量です。これから数十年でコンピューターの能力が今の十倍くらいになっても、これではたいしたことは出来ないでしょう。やはり、量子コンピューターが実用化されるなどして、プロセス能力が現在のコンピューターの数千倍程度にならなければ駄目でしょう。又、終始参照するデータは、現在蓄積されているものの数百万倍にも及んでいることが必要でしょう。人間の脳の中にも、遺伝子によって受け継がれたものも含め、膨大な量のデータが蓄積されているとは思いますが、AIがシンギュラリティーに到達する頃には、それまでに人類が知り、あるいは経験したあらゆることがクラウドに蓄積されており、しかも毎日増え続けている状況になっていなければなりません。更にシンギュラリティー実現の一つの前提条件としては、最先端のAIを開発し運営する人達の間で、一定のコンセンサスが形づくられていることも必要ですし、これはこれで、とてつもなく長い時間がかかることだと思います。

ですから、私は、AIがシンギュラリティーに到達し、人間が政治を全てAIに任せようとするに至るまでには、三段階ぐらいの段階が必要であろうと思っています。第一段階は、今の時点でもう起こっています。「あれAI使ったらもっと早く正確にいけるんじゃないのか」「そうですね、予算さえおりれば、すぐにでも出来そうなんですがね」みたいなことは、もうすでに毎日起こっているじゃないですか。そして、何とかかんとか言っているうちに、AIを使う範囲は段々広くなってくると思います。それが人間がAIを使う時期、つまり「第一期」です。そして、「第二期」はその後に来ます。AIがやる仕事が段々増えてくると、人間とAIの仕事の分担は段々五分五分となってきて、そのうちに、AIに教えられることの方が多くなるでしょう。そうなると、人間も素直に「さすがAI様、わしらが考えるより、ずっと深く考えるんだねえ」と感心する毎日になります。つまり、第一期では人間の召使程度だったAIが、第二期では、段々同僚になって、兄貴分になって、メンターになります。AI同士がコミュニケートして、どんどん物事を決めていくことも多くなるでしょう。

こうなると、政治もAIを駆使する政治家の方が、AIを使えない政治家よりはるかに優位に立てます。弁護士も同じです。AIを駆使する弁護士とAIが使えない弁護士ではもう勝負が初めから付いています。AIを駆使出来る弁護士のところには、出来ない弁護士に比べれば数倍も多い仕事が持ち込まれてくるでしょうし、こういう弁護士はその程度の仕事量は難なくこなします。医者だってそうですよ。AIを駆使する医者の前に行列が出来る。AIが使えない医者は段々落ちぶれてしまいます。そうなると、段々AIがなくては、政治家も事業家も専門職も全く成り立たなくなってしまうでしょう。そして、気が付いてみたら、何をやるにもいつもAIが主役、人間が付け足しというような状況になるでしょう。

中島:いやでも、それは僕も思うんですけど、現状日本は経団連がやっとパソコンを入れたとか、サイバーセキュリティの大臣がパソコン触ったことがないっていうその状態が、そのステップ1の一歩目も踏み出せてないわけですよね。そこはどうしたら乗り越えられるんですかね。

松本:それはもう日本があまりにもお粗末だとしか言いようがありません。まずは「せめてアメリカ並みになってよ」と言うしかありません。このままだと、差がどんどん開く一方ですから、本当にここいらで本気にならなければヤバいですよ。だけど、放っておいたって、AIを駆使する企業は伸びるし、旧態依然の会社がどんどん落ちぶれていく。政治家だって、AIを駆使出来るような政治家の方が気の利いた演説も出来るようになり、当選率が高まる。こうして自然淘汰が起こるし、あらゆる分野でAIを駆使出来る人だけが生き残るので、日本だって段々とレベルは上がるのではありませんか?

中島:それはもうすでにアメリカのAmazonなりGoogleなりが伸びていることに対して日本企業がね、っていう事実はアリとして、でも何となくここは日本なので、どうして日本はそうなれないのかな、もしくはそうなってる企業もあるけどそういう企業はどう抑えられているのかなというのはありますよね。

松本:でも、今はまだ、日本の強いところも一杯あるじゃないですか。愚直に研究を重ねる必要のある地味な素材分野とか、倦まず弛まず改善をやるところとかですね。それの強さが、マネージメントが駄目とか、コンピューターを使いこなす能力が遅れてるところとかと相殺してるから、まぁまぁというところで踏み止まっているのかもしれません。だけど、多くの人たちの活躍分野の中で、ソフトウェアに関係するところの比重が高まっていっているのは事実でしょう。そして、この世界では、一人の天才が百人の人が汗かいてやることをあっという間に凌駕してしまいます。

でも、日本では、天才的な人は割と不遇です。子供のときからそうですよ。天才みたいな子供はどこかが必ず少し変ですが、日本だと変だから苛められたり登校拒否になったりする。これに対し、欧米だと「ギフテッド教育」というものがあって、そういう子供達を集めて徹底的に英才教育をしているわけです。日本では英才教育はなんていうのは不平等だから駄目だというんです。義務教育が崩壊すると。そんなことを一つずつ崩していくだけでも反対が起こるんです。

ですから、日本では明らかにソフトウェア分野での競争力が落ちていますよね。そもそも、ソフトウェアの開発手法も違います。日本人ではウォーターフォール方式というのが主流で、マイルストーン管理をきちっとやって、仕様も厳密に定義して、それからちょっとでも外れていると「君、ダメじゃないか」ということになるけど、海外ではアジャイル方式というのが主流で、「とにかくやってみる。駄目だったらやり直す」というおおらかなやり方です。「あー、あれ、駄目でした。今は違うやり方でやってます」とかケロっとして言っているような奴の方が、良いソフトを作っているんです。日本人は一生懸命働くし、全般的に見て頭も良いのですから、型にはめずに好きな様にやらした方がいいと思うのですがね。

AIが神になる日――シンギュラリティーが人類を救う

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